部屋、トイレ共に決してきれいとはいえないかったが、泊まるだけなので問題はなかった。ブジュンブラで何よりも驚いたのは、物価が周辺諸国に比べて高いことである。戦時下にあるからかもしれないが、食事代や宿代等、ケニアの2倍はしていたと思う。
日中は平穏だったブジュンブラも、夜になると様相が一変した。夜間外出禁止令がまだ解除されていないらしく、昼間あれほど賑わっていた通りもゴーストタウンのように静まり返った。すると突然、その静けさをマシンガンの乾いた爆音が打ち破った。どこかで市街戦が始まったようである。軍による掃討作戦なのだろうか。それも爆音の大きさからして、そんなに遠くではなさそうである。
この緊迫感は中米エルサルバドル以来である。僕はエルサルバドルでも同じ音を聞いており、それからというもの、その音が恐怖の合図として僕の耳から離れないのである。その後も爆音は一晩中、町のいたるところで鳴り響き、今回アフリカに来て以来、最も緊迫感のある夜を迎えたのであった。
朝、死体が転がっているのではないかと恐る恐る外に出てみると、どこにも死体らしきものは転がっていなかった。そこには昨日の日中同様に、人々の生活が営まれており、賑わいを見せていたのである。本当に昼と夜とでは、これほど表情が違う町も珍しい。明らかに死と隣り合わせの国にいるのだが。僕はもう1泊ブジュンブラで滞在し、次の日の朝にブルンジを後にしたのだった。
ブルンジ内戦は2005年に一応の停戦を迎えた。その後、ブルンジに行った人の話しを聞くと、ルワンダのように平穏だったそうだ。それにしてもブルンジでは、内戦終結までに時間がかかりすぎたような気がする。ルワンダではジェノサイドが起こってから内戦終結まで1年もかからなかったが、ブルンジでは10年以上かかったことになる。今後もこの平和が保たれることを期待したい。
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