またマナグアでは電力不足から停電は日常茶飯事で、僕の滞在中は必ずと言ってよいほど夜間に停電になった。何と一国の首都のど真ん中にいるのに、空には満天の星空が輝いているのだ。おそらくマナグアは世界で一番星空がきれいな首都かもしれない。
その星空の中、ニカラグアで一番立派なホテルである米系のインターコンチネンタルホテルだけがピカピカに輝いていた。このホテルだけは自家発電があるのだろう。一泊ツインルームがUS$40、外国の旅行者ならかなり安く感じるかもしれないが、ニカラグアの庶民にとっては一生かかっても泊まれる金額ではない。
サンディニスタ政権は今や国家予算の大部分が軍事費にさかれているため、革命政権誕生初期に行なっていた文盲率低下を目的とした教育改革や医療費の無料化などの福祉政策に手が回らなくなっていった。さらにアメリカによる経済制裁は予想以上にニカラグア国民を窮地に追い込み、物不足が顕著になった。僕はマナグアのスーパーマーケットに行ったが、商品棚には物が殆どなかった。
加えて年間10000%を超える天文学的インフレが進行し、通貨であるコルドバは完全に国際的信用がなくなった。もはやコルドバを持っていても、何も買うことができない。毎日毎日凄まじい勢いでコルドバの価値がなくなっていくのである。
僕が入国の際に強制両替(もちろん公定レート)で得たコルドバは、見る見るうちになくなった。ちょっと食べ物を買うだけで、コルドバ札がどんどんなくなっていくのである。これでは庶民は何も買うことができない。事実、庶民の生活は悲惨そのものだった。マナグアの街角で、まだ3歳くらいのストリートチルドレンが僕の足に抱きついて泣き出した時は、僕はどうしてよいのかわからなかった。苦しみの中から庶民はところどころにできたヤミ市で、物を手に入れていた。当然ブラックマーケットも出現し、USドルを確保するために多くの人が公定レートの何十倍のレートでコルドバ札を手放していた。
崩壊寸前の国とはこのような国をいうのだろうか。あの輝かしい革命はなんだったのだろう。もはや国民の多くがサンディニスタ政権支持から離れているような気がした。国民の反対を押し切って導入した徴兵制も影響していると思う。
僕は現地で知り合った人の紹介で、マナグアでホームステイをした。その家の息子さんは徴兵され、内戦の犠牲になったそうだ。その家のお父さんは僕に、事あるごとに「私の息子はウォーヒーローだ」と言っていたことが今でも思い出される。
元をたどれば革命後のニカラグア内戦は、アメリカによって引き起こされたことは誰の目にも明らかである。ニカラグア政府はこのアメリカの行為を国連憲章の「武力行使禁止」の原則に違反するとして、国際司法裁判所に告訴した。国連加盟国が国連憲章の基本理念である「武力行使禁止」の原則によって訴えられるのは世界で始めての出来事で、まさに前代未聞のことである。国連の存在意義を覆しかねないアメリカの行為は、決して正当化できないことだと思う。
僕はマナグアで傭兵としてサンディニスタ軍に参加し、コントラと戦っている日本人男性に出会った。彼はカリブ海沿岸の最前線の町・ブルーフィールズから戻ってきたところだった。僕はこんな日本人もいるのだと感心した。彼はキューバの革命家エルネスト・チェ・ゲバラを崇拝しており、アメリカの行動が許せないと言っていたことが印象的だった。
1990年、ついにサンディニスタ革命政権は崩壊した。ほとんどの国民は革命には肯定的だが、このままサンディニスタに政権を任せていても生活が向上しないと判断したのだろう。やはりこの地域では、アメリカを敵にまわしては国家が成り立たないのだろうか。サンディニスタ政権に代わって、ビオレータ・チャモロが政権の座に就いた。
彼女は元サンディニスタとして革命戦争を戦ってきたが、革命後に考えの相違からサンディニスタ政権から脱退し、コントラ側に加わっていた。ほどなくチャモロ政権も崩壊し、独裁者ソモサの部下であったアレマン政権が誕生した。さすがソモサの部下だけあって、1998年にニカラグアを襲った大型ハリケーン・ミッチの災害に対して、世界各国から送られてきた多額の義援金を私的流用してしまった。
腐敗政治に加えて、国民の貧富の格差も拡大していった。これでは革命前の状態に逆戻りした形である。いったいいつになったら、ニカラグアに真の平和と民主主義が訪れるのだろうか。残念なことに、アメリカを敵にまわしたら生きてゆけないニカラグアの苦悩はまだ続きそうである。
追記:2007年に入ってニカラグアでは、かってのサンディニスタ革命政権のダニエル・オルテガが政権の座に就いた。やはり歴史は繰り返すようである。この結果を受けて、反米のキューバのカストロ議長とベネズエラのチャベス大統領は、「もはやラテンアメリカを米国の裏庭などと呼ばせない」と息まいているそうだ。
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