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ペナン3日目、僕はまだペナンにいた。本来ならランカウイに移動する日なのだが、昨夜のディスコでれいの3人組にランカウイ行きを引き止められ、ミッシェルにランカウイ行きフェリーのチケットを焼かれてしまったからだ。確かにフェリー代はむだになったが、僕の気持ちの中にももっとペナンにいたいという気持ちがあったのでよしとした。
いよいよペナンで沈没モードに入ってしまった。僕はその後4泊もペナンでしてしまった。べつにペナンで何か予定が入っているわけでもなく、毎日昼間は宿のベランダでビール片手に海を見ながら読書をし、夜は3人組といっしょに近くのディスコやバーに繰り出した。初日に発症したクラゲ恐怖症のおかげで海に入ることもしなかったので、体はぜんぜん疲れなかった。
全く贅沢な時間の使い方をしたものである。本来、沈没というのは何ヶ月も同じ場所に留まることを指すが、もともと通過だけと考えていたペナンでの滞在は僕にとって十分に沈没に値することだった。
ペナンでの最終日、珍しく日本人が僕と入れ替わるかのようにババゲストハウスにやって来た。彼は栃木から来た半田君で、卒業旅行でペナンに来たそうだ。大学卒業後は5年間の予定でアメリカのミネアポリスに留学するそうである。真っ黒に日焼けした全身が印象的だった。僕は半田君とペナン最後の夕食を一緒にとった。
いよいよ出発の日となった。もうこれ以上、旅程を遅らせるわけにはいかない。僕は3人組と半田君に別れの挨拶をしてペナンを後にし、バタワーズから列車でタイへ向かったのであった。
(追記)
その後、イランに行った僕はテヘランでミッシェルの家族にすっかりお世話になった。残念なことに当のミッシェルは出稼ぎのため自宅にはいなかったが、代わりにミッシェルの弟さんであるナセルさん家族とナセルさんの友人であるアバスさんにいろいろとお世話になった。自宅にはナセルさんと奥さんと娘さん、それにミッシェルの奥さんとまだ生まれたばかりのかわいい息子さんがいた。
当のミッシェルであるが僕が長期旅行から帰国した約1年後に、突然金沢の僕の家にやって来た。彼はペナンで僕に会った後もテヘランにある自宅には戻っておらず、仕事を求めてアジアの国々を転々としていたようだった。そして今回日本にやってきたが、その当時日本はバブル崩壊の時期だったために、せっかく来たが仕事がなく、困っていた。
また金沢にやって来たのも運悪く平日だったため、僕は仕事のために金沢を案内してあげることもできず、結局一晩だけ家に泊まってもらい、お別れをした。せめてもの救いは、僕がテヘランの彼の自宅にお世話になったときに撮った彼の小さな息子の写真を、手渡せたことだった。
またペナンでの3人組の1人であるルーマニア人のジェシーであるが、ミッシェルによると残念なことに交通事故に遭い、亡くなったとのことであった。ご冥福を心から祈りたい。
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