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危険な旅路 ルワンダ

すっかり大虐殺で有名になったルワンダ。1994年、この国で起きた大虐殺に比べれば、ウガンダのアミンや中央アフリカのボカサによる大虐殺、はたまた南米チリのピノチェトの粛清による大虐殺が色あせて見えてしまう。

ルワンダの大虐殺事件で、国連はその無力さを全世界に露呈してしまった。国連はアメリカの反対で介入ができなかったのである。国際社会に完全に見放されてしまったルワンダでは、その後もジェノサイドが進行し、わずか3ヶ月間で何と100万人以上のツチ族がフツ族によって殺されてしまった。

これはルワンダに住むツチ族の半数が殺されたことになり、さらにカンボジアのポルポト政権が3年間で殺した数と同じである。まさにルワンダでの出来事は、20世紀最悪のジェノサイド事件となったのである。



ルワンダの首都・キガリの町並み

それにしてもアメリカの自分勝手な姿勢には疑問を感じてしまう。ソマリアでの失敗がトラウマとなっているのだろうか。

数年前のアメリカなら誰の依頼も無しに、紛争国の政府が来なくてもよいといっても、自ら進んで世界警察を名乗って一番に飛んでいったはずなのだが。

当然アメリカはジェノサイド条約に批准している。本来ならジェノサイドを止めるために、ルワンダへ兵を派遣しないと条約違反になることは明らかである。

アメリカはルワンダでの大虐殺が、明らかなジェノサイドに当たるにもかかわらず、「ジェノサイド的行為」という言葉を使ってかわしたのである。

どうもアメリカにとってアフリカの国々は、あまり魅力がないようである。どこかのテレビ局の番組で、ルワンダ人100人の死はアメリカ人1人の価値にも及ばないと、公然と言っていたアメリカ政府関係者の発言がやけに印象に残ってしまった。少なくとも彼の人権意識は、僕より低いことは間違いがない。

しかしながらアメリカは、同じ時期に起こった旧ユーゴスラビアのボスニア紛争には、セルビア人勢力のジェノサイドを理由に積極的に介入した。それも今度は国連の反対を押し切って、NATO軍と称して。アフリカの出来事は放って置いても、ヨーロッパの出来事はそうはいかないようである。

僕がルワンダを訪問したのは、大虐殺事件から2年後のことである。もともと僕はルワンダに行く予定はなかったが、コンゴ(旧ザイール)のブカブにいた時、現地の国連の職員の方から内戦勃発が近いから今すぐコンゴから出国するようにと忠告され、半強制的にルワンダに避難させられたのだった。国連職員の方には今のコンゴより、ルワンダの方が安全だという認識があったのだ。

事実、ルワンダに入国してみると、コンゴの時に比べて兵士の表情が随分穏かなことに気づいた。それどころか僕に冗談を言ってくる兵士までいた。全く緊迫感がなく、僕はいい意味で肩透かしを食らってしまった。その数日後、僕がいたコンゴ東部で内戦が勃発し、内戦はその後、周辺国も巻き込んだアフリカ大戦と呼ばれる泥沼の内戦に発展したのだった。

僕は国境から乗り合いバスにて、山道を一路首都キガリに向かった。途中ルワンダ兵による検問もあったが、別に緊迫した様子もなく、難なく僕はキガリに到着したのだった。

キガリの町はまるで山の中腹にへばりつくかのように建設されていた。町は活気に溢れ、人々の表情も明るかった。スーツを着たビジネスマン風の人も目立ち、都市機能はほぼ正常に戻っているように思えた。


ルワンダのキガリにあるレゲエバー「ONE LOVE」
ここにガテラとボスコがいた。
僕はホテルを探すために、キガリの中心街を歩いた。するとレゲエファッションに身を包んだ一人のラスタマンに出会った。内戦のせいかどうかはわからないが、彼は足が悪く、杖を使って歩いていた。

僕が珍しそうな眼差しで見つめていると、彼のほうから声を掛けてきた。彼は名前をガテラといった。近くでレゲエバーをやっているそうで、僕を夕食に誘ってくれた。それどころか親切にも、近くにあるビクトリアモーテルという安宿を紹介してくれた。

僕は宿で少し休憩をとった後、ガテラのいるレゲエバー「ONE LOVE」へ行くことにした。

「ONE LOVE」はバスターミナルにほど近いビルの3Fにあった。店内に入ると、レゲエミュージックがガンガンかかっており、いくつかのテーブルとカウンター席があった。

僕はガテラのいるカウンター席に座った。カウンターの中にはもう一人のラスタマンであるボスコがいた。ガテラは僕を見つけると、まずコンゴ製のプリマスビールを振る舞ってくれ、夕食の支度に取り掛かった。夕食のメニューはスパゲッティだった。


ガテラ(右)とボスコ(左)


キガリの街角にて

僕は夕食をとりながら、ガテラやボスコ、そのほか店にいたお客たちとお互いの家族について、ルワンダ内戦についてなどいろいろなことを話した。話によるとガテラには2人の妻と3人の子供がいるとのことだった。2人の妻のうち1人は何と日本人だそうで、僕にわざわざ日本人の妻の写真を見せてくれた。そういうこともあってか、カテラは日本について大変興味を持っていて、彼自身「MULINDI JAPAN ONE LOVE PROJECT」という組織を作り、日本との交流や友好に努めているそうである。

話が僕のコンゴ(当時はザイール)での体験談に及んだとき、突然ガテラが僕にコンゴの役人の質の悪さについて、明日ラジオの放送で話してくれないかと頼んできた。どうやら僕が話したコンゴをけなした内容が気に入ったようであった。モブツ政権下のコンゴとツチ族主体のルワンダが犬猿の仲とは聞いていたが、まさかこれくらいでラジオ出演依頼が来るとは思ってもいなかった。

ラジオといえばルワンダでは一般的に広く普及していて、ルワンダ人にとって多くの情報の発信源となっている。あのジェノサイド事件の時もラジオが有効に利用され、ジェノサイド加害者であるフツ族過激派はラジオを利用して、プロパガンダ放送をルワンダ中に流したのである。

僕はもちろんガテラの申し出を快く引き受けたが、よくよく考えてみると僕がラジオで話す言葉は当然日本語ではなく、フランス語か英語である。自慢ではないが、僕はフランス語が全くダメで、英語もいいかげんなものである。その文法は無いに等しく、知っている単語の羅列程度である。今まで旅行している分には、これで何とかなった。しかしラジオに出るとなると話は別である。到底太刀打ちできない。しかもその内容は悪化するコンゴ情勢である。ガテラによると、明日ラジオルワンダのアナウンサーが来るとのことである。これは大変なことになってしまった。

翌朝、僕は宿を早々にチェックアウトして、荷物を持って「ONE LOVE」へ向かった。ガテラが今日からバーの隣にあるベッドを使わせてくれることになったからである。本当に何から何まで、彼のお世話になってしまった。僕は朝食をご馳走になり、れいのアナウンサーが来るのを待つことにした。

そして現れたアナウンサーは、実に恰幅のよい大男だった。そして恐怖のインタビューが始まった。僕は開き直って、大男の繰り出す質問に答え続けた。質問の殆どがコンゴ兵や役人の悪事についてだったが、そんなもの英語でうまく話せるわけが無い。ボディラングイッチを交えれば何とかなるかもしれないが、これはラジオの収録である。大男も僕の英語のへたくそぶりに困り果てていた。唯一の救いは、生放送でなかったことである。しかし明日の夜、僕のへたくそな英語がルワンダ中に流れるのを想像すると、身の毛がよだつ思いである。

午後からはキガリの町を散歩した。キガリは一国の首都とは思えないほど小さな町だった。ちょうどケニアの田舎町といった感じで、1日あれば主要なところは徒歩でまわれる。僕は市場を見学して、近くにいた子供たちと少し遊んだ後、「ONE LOVE」へ戻った。するとガテラが気を利かせてくれ、車で町を案内してくれることになった。

町は活気があったが、建物に残る銃痕や道路が壊された後など、とことろどころにルワンダ内戦の傷跡が生々しく残っていた。ドライブの途中、ガテラが「ジェノサイドのときには、この通りには沢山の死体が転がっていた」などと解説してくれた。僕たちはレストランで休憩した後、最後にキガリの小さな空港を見学して戻ることにした。

ついにルワンダを離れる日がやってきた。短い滞在だったが、仕方が無い。ルワンダはもともと通過だけと考えていたが、ガテラに出会っていい思い出が沢山できた。ガテラとボスコがバスターミナルまで、わざわざ僕を見送りに来てくれた。僕はネパールで購入した小物入れをガテラにプレゼントして、別れを告げた。彼等は僕が乗り合いタクシーに無事乗り込んだのを見届けてから、帰っていった。それから待つこと約2時間、ようやく客が集まり、僕の乗った乗り合いタクシーは出発したのだった。僕はラジオから流れる恐ろしい英語を聞くことなく、無事ルワンダを後にしたのだった。


 

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